界隈

界隈の人達よ集えみたいな気運を幻視した。

大辞林 第三版の解説
コミュニティー【community】
① 人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域、およびその人々の集団。地域社会。共同体。
② 転じて、インターネット上で、共通の関心をもちメッセージのやりとりを行う人々の集まり。
③ アメリカの社会学マッキーバー(R. M. MacIver)が定式化した社会類型の一。血縁・地縁など自然的結合により共同生活を営む社会集団。 → アソシエーション

出典 三省堂大辞林

上でいうところの②から①へみたいなことを企図する、またはしている発達障害の人たちを目にするようになってきた。

たぶん大人の発達障害者というものがある程度の数いるということになってきて、そこに帰属意識みたいなものをもちはじめてしまえば、そういうこともあるだろうとは思う。そちらの行きつく先は誰も知らないにせよ、ともかくも発達障害が認知されてきたのはいいことだと思う。僕も小さいうちに診断されていれば、変にスレずには済んでいたのだろうか。

ただ、医学的なそれとは別にして、僕の身の回りで見聞きする「発達障害」という言葉や概念としてのありようは、とりあえずざっくり「社会」に合わなければそこに容れておこうという暗箱的でもある。それはなんらかの社会というものを仮定して、そちらの側には便利であるが、呼ばれた方でははなはだ不便な、不公平な使われ方をされているようにもみえる。
自分も不勉強ではあるが、ADHDアスペルガーASD高機能自閉症もひとくくりというのは、これは取り扱いに困る大きな概念で、いわば社会から見た「その他」なのである。

なので、主語にするには適さないと思うのだ。ただマイノリティーなので、風呂敷かパイなのかを大きくしておこうというのはわからなくもない。しかし主体が誰なのか、どのような属性の人たちなのかが不明瞭なため、目的はなんなのかも見定めることができない。何をやろうとしているのがよくわからないというのが今の感想として一番近い。